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去る3月21日、とある作家さんが癌で亡くなった。


自分の知る限り、00年代に入ってから比較的直ぐに、癌に侵され始めていた。
それに関わるあらゆる残酷な症状、治療を鑑みるに、永い闘いだったのかも知れないし、
人生としては余りにも短かったのかも知れない。


病を得る、という過程は、それまで当たり前に接していた事象への
再定義をしていく作業でもある。


「うまく食べられなくなった」と諦観し
「うまく呼吸できなくなった」と諦観し
「うまく歩けなくなった」と諦観し
「肉体は常に痛みを感じる物なのだ」と諦観し


或いはそれは、自己をを裏切り続ける肉体への、
若しくはそれによって知覚し得る世界が歪んで行く事への、
絶望への過程なのだろう。



その才能からすれば、作家として世に出てくるのが遅過ぎたと思う。
当人のそこに至る迄の葛藤が如何程の物だったか知る由もないが
病を得て暫く経ってから商業媒体に出てきた事を思えば、
「死に行く過程」を意識した上での、自らの模倣子(ミーム)を
出来るだけ世にばら撒く決意をしたとも取れるし、
そのために「死」さえも好奇の対象とするエンターティメントの壇上に上る
覚悟を決めたのかも知れない。

或いは「個人の意志」の問題とは別に、病を得てしまった事で
「機能しえない人間」として「社会」から放逐されてしまう現実がある。
ペンを取るしか、まだ幾許か続くであろう「生」を闘い抜く手段は
残されていなかったのかも知れない。




自分は彼に聞きたかった。

「病」という怪物と死ぬ迄対峙し続ければならない、
人間としての矜持もクソもない、
その非現実の中でどうやって正気を保てるのかと。



多くの人間にとって「痛み」はファンタジーでしかない。
その「幸せな人々」にとっては大抵は絵空事の、嘘っぱちの世界だ。

その「真の狂騒」を知る数少ない作家だったと思う。






運悪くこの文章を読んでしまった人、
下世話な捕捉とかはいいから、
その小説家、伊藤計劃氏の本を、まだ読んでいないなら黙って買ってきて読んで下さい。




彼の物語が、なるべく永くこの世界に在り続けられるように。